学園について

  • 沿革

  • 施設紹介

沿革

*文章中では、当時の用語・表現をそのまま用いているため、現在においては適切でない用語・表現がございます。予めご了承いただきたく存じます。

  • 昭和6年9月5日〜昭和14年6月8日

    知的障害児教科施設廣島教育治療學園

    広島市三滝町85番地(当時)

    画像:「廣島教育治療學園」広島市三滝町85番地(当時)

    初代学園長・田中正雄は、島根県下組合高等小学校に校長として勤務していましたが、知的障害児の不遇を憂慮し、大正12年校長職を捨て、広島市尾長小学校の特殊教育初代主任として広島に赴きました。2年間尾長小で知的障害児の教育に努めた後、広島市三滝町に、六方学園の前身「広島教育治療学園」を設立。児童4名、職員5名、知的障害児のための家庭的な施設としてスタートしました。

  • 昭和14年6月9日〜昭和24年1月22日

    六方學園

    広島市矢賀町1008番地(当時)

    画像:「六方學園」広島市矢賀町1008番地(当時)

    学園を広島市矢賀町に移転し「六方学園」と改称。昭和15年1月、広島県社会事業として認可されました。その後、戦時色が濃くなるにつれ、学園生活も苦難の時代を迎えます。戦況が学園にも暗い影を落としていた昭和20年8月6日、約4キロ離れた広島市に原爆が投下されました。園舎は破損し園児、職員にも死傷者が出ました。

  • 昭和24年1月23日〜昭和41年6月30日

    精神薄弱児収容施設六方学園

    広島市古田町高須295(当時)

    (福山六方学園 庄原さくら学園)
    画像:「六方学園」広島市古田町高須295(当時)

    広島市高須町に移転拡張。社会福祉法人“六方学園”として認可され、重度児童専用の別館「胡桃苑」を創設。園児40名・職員12名。昭和24年11月に秋季第一回運動会を、地域参加で行ないました。

  • 昭和41年7月1日〜平成13年

    社会福祉法人六方学園 
    六方学園更生部

    東広島市西条町田口10391-3(当時)

    画像:「六方学園」移転当時の園舎)

    東広島市西条町に新築移転し、定員130名に。平成13年4月、施設を全面改築。六方学園成人部を新設。平成17年4月1日、グループホーム「ボン東高須」を新設、平成24年4月1日に六方学園更生部を六方学園成人部に改称しました。

平成13年〜

社会福祉法人六方学園 
六方学園更生部

広島県東広島市西条町田口10391ー10(現在)

画像:「六方学園」全景 画像:「六方学園」全景

自然に恵まれた静かな学園都市・東広島市「西条町」。広島大学に隣接したこの地で、園訓である「素直に 仲良く 働らく」をモットーに、幼児から成人までの幅広い年代の方々が自らの個性を最大限に活かすための“自分探し”をしています。

平成27年4月〜

グループホームボン東高須

画像:「六方学園」全景 画像:「六方学園」全景

平成27年4月〜

グループホームボン東高須

仲間で力を合わせ、楽しく暮らし、仕事と文化活動を共有できる男女共生の家として計画を進めていた自活ホームがオープンしました。

建物(5棟)
●構造/鉄筋コンクリート造陸屋根渡廊下付2階建 ●延べ床面積/4,226.64㎡ ●利用定員/98名 ●敷地面積/17,805.23㎡ ●居室面積/708.23㎡ ●居室数/一人部屋70室
●構造/鉄筋コンクリート造陸屋根渡廊下付2階建 ●延べ床面積/4,226.64㎡ ●利用定員/98名 ●敷地面積/17,805.23㎡ ●居室面積/708.23㎡ ●居室数/一人部屋70室
設備
●地域交流ホーム ●陶芸工房 ●自然農園 ●食堂(3室) ●作業室(2室) ●相談室(1室) ●機能回復訓練室(1室) ●浴室(6室) ●特殊浴槽付浴室(1室) ●医務室(1室) ●静養室(4室) ●指導員室(4室) ●会議室(1室) ●交流室(4室) ●ディルーム(9室) ●トイレ(12ヶ所) ●エレベーター(1基)
●地域交流ホーム ●陶芸工房 ●自然農園 ●食堂(3室) ●作業室(2室) ●相談室(1室) ●機能回復訓練室(1室) ●浴室(6室) ●特殊浴槽付浴室(1室) ●医務室(1室) ●静養室(4室) ●指導員室(4室) ●会議室(1室) ●交流室(4室) ●ディルーム(9室) ●トイレ(12ヶ所) ●エレベーター(1基)
定員
●六方学園/30名 ●ボン東高須/8名 ●六方学園成人部/60名
●六方学園/30名 ●ボン東高須/8名 ●六方学園成人部/60名
画像:「六方学園」フロアガイド 画像:「六方学園」フロアガイド

被曝植樹

園庭には、広島の平和のシンボルとして知られる2種の木が元気に育っています。一つは、被爆後すぐに植えられ、平和と復興のシンボルとして親しまれてきたポプラの2代目。台風で倒れてしまった初代の根元から移植したもので、すでに三代目も生まれ、うち一本は広島市の元の場所に里帰りを果たしました。
そしてもう一つは、歌にもなっている被爆アオギリの二代目と三代目です。
ポプラとアオギリは、その元気な姿で利用者に命の大切さを語っています。

画像:ポプラとアオギリ 画像:ポプラとアオギリ
画像:ポプラとアオギリ 画像:ポプラとアオギリ
2008年4月30日 中国新聞
画像:ポプラとアオギリ 画像:ポプラとアオギリ
2014年2月11日 中国新聞

古代のロマンが駆けめぐる「西ガガラ遺跡」

学園から100m程離れた一角に、旧石器時代の住居跡と出土品が発掘され「西ガガラ遺跡」として一般公開された場所があります。直径10m程の住居跡は、約28,000年前ごろのものと推定されています。
学園が、広島から西条へ移転したのは今から50年以上前。当時は周りを囲う松林以外に何もなかったこの土地ですが、ここ半世紀で、人やモノが集まり若者が育つ学園都市に成長しました。
太古の昔にも、学園東側にある低丘陵に位置したこの場所で、人々が集い生き生きと生活していたと思うとロマンが駆けめぐります。

画像:六方学園上空から
上空から学園を臨む